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2019年1月22日 (火)

復興支え 流れ続ける(納屋橋から見た堀川)

FineCity(ファインシティ)から約300mに納屋橋があります。
先日の新聞に記事が載っていました。

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 焼け跡と木造家屋の間を悠然と流れる堀川。
終戦直後、納屋橋から北を向いて撮った1枚だ。
古い写真とはいえ、空の青と区別が付かないほど澄んでいる。
昔の堀川はこれほど美しかったのか。
 写真と同時期の1974年春、納屋橋のたもとで夫と「高山額縁店」を始めた高山喜久代さん(91)は、これに異を唱える。
「汚い川で、ものすごくにおったの。
窓は閉め切って暮らしてた。
きれいに見えるのは写真の具合でしょう」。
幻想をばっさり切り捨てた。
 当時の橋周辺はバラックが立ち並び、靴磨きで糊口をしのぐ人たちが大勢いたという。
一部には焼失を免れた建物があり、写真左手の料亭「琥珀亭」もそのうちの1軒だった。
 納屋橋周辺が活気づいたのは1886(明治19)年に名古屋駅ができてから。名駅と栄を結ぶルートとして広小路ににぎわいが生まれ、そこに架かる納屋橋の重要性も増した。
 堀川文化探索隊のメンバーで、かつて名古屋市の堀川総合整備室に勤務した伊藤正博さん(69)は、「主要な輸送手段だった舟運と陸運が交わる場所として栄えた」と指摘する。
 太平洋戦争で名古屋の街が焼け野原になった際も、大きな被害を受けなかった堀川は復興の立役者となった。
「はしけ舟(小型の貨物船)が建築資材を運び、街の再建に大きな役割を果たした。堀川がなければ、名古屋の復興は遅れていたでしょう」(伊藤さん)
 堀川沿いに住んで72年になる高山さんは「街は本当にきれいになって、当時の面影は全然ないです」と証言する。
空襲の痕跡も、川からの悪臭もなくなり、街にはおしゃれなピルが次々と現れる。移ろいゆく街の中、堀川だけは姿を変えずに流れている。

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