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2019年1月11日 (金)

「女傑」の夢 受け継ぐ(オリエンタルビル)

FineCity(ファインシティ)の前の錦通りを東に約2000mに栄があります。
その一角に名古屋三越栄店があります。
先日の新聞に記事が載っていました。

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 栄を縦に貫くメインストリートの大津通。
奥には小さく県庁や市役所も見える。
道路右側の、白いピルの位置には現在、名古屋三越栄店が立つ。
 「大きな事業をするには大きな器がいる。広い土地を手に入れよう」
 焼けた街を見て、壮大な夢を抱いたのは、平松さわ(1978年に85歳で死去)。
現在、名古屋三越が入居するオリエンタルビルの創業者だ。
 戦前から清須市で県議だった夫と、鶏の飼料を扱う商店を経営。
34年に夫が急死し、女手一つで店を取り仕切った。
戦中はつくだ煮事業を始め、名古屋の松坂屋へ商品を納めに通ううち、商業施設の構想を描いた。
 戦後、46年にさわは栄でホテルを開業。
その後、名古屋市の100m道路計画で換地として現在の名古屋三越のある一等地を手に入れた。
さわの孫でオリエンタルビルの平松潤一郎社長(69)によると、この土地には当時、闇市が広がっており、さわは施設建設のため、それらの不法占拠で商売をしていた店などを一夜のうちに取り壊させたという。
「『名古屋三大女傑』と呼ばれ、撤密な計算ができたわけではないが、大胆で商才があった」と話す。
 54年に名古屋三越の前身のオリエンタル中村百貨店が開業。
屋上に遊園地を備えたデパートには、娯楽に飢えた老若男女が押し寄せ、復興を象徴した。
77年、業績不振となったオリエンタル中村が三越と業務提携。
その翌年、さわは85歳で亡くなった。
 その後もオリエンタルビルなどは2005年、南隣に「名古屋三越ラシック店」を開店。
さらに街を盛り上げている。焼け野原でさわが見た夢は終わらずに、街は変わり続けている。

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