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2015年11月26日 (木)

堀川(5) 得月楼

FineCity(ファインシティ)から南約300mに、納屋橋があります。
その納屋橋の昔の様子が、先日の新聞に載っていました。

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150801b ずらりと並ぶ料理に舌鼓を打つ酔客の前で、扇子や手拭いを手にしなやかに舞う。
堀川・納屋橋たもとで名をはせた老舗料亭「得月楼(とくげつろう)」(中村区)の建物を引き継いだかしわ料理店「鳥久」。
千種区の西川鯉恵さん(82)=本名・白木哲子=は、芸妓(げいこ)だった若かりしころ、お座敷を何度か務めたことを思い出す。
 「得月楼の時代からの黒っばくて趣深い建物が印象的だった。でも、一番はお漬物の味だったわ」
1828(文政11年)創業の得月楼は、県産のウリを使った「味醂(みりん)奈良漬」などの漬物でも知られた、指折りの名店。
「宴の後に持ち帰るおもたせが有名だったと聞いた」と西川さん。
太平洋戦争のさなかに店を閉じた得月楼の味は、蟹江町の漬物店「若菜」に受け継がれた。
 若菜は、味醸奈良漬用の「みりんかす」を得月楼に卸していた「甘強(かんきょう)酒造」(同町)を本家に持つ故山田清三さんが、終戦翌年の1946(昭和21)年に起こし、やがて得月楼の漬物部門を引き継いだ。
得月楼の玄関先や倉庫だった場所を店舗に「元祖御つけ物得月」の看板を掲げ、人々の舌を喜ばせた。
 休みに買いに行くのが楽しみだったという西川さんのお気に入りは、「古紫(こむらさき)」というらっきょうのしょうゆ漬け。
浄瑠璃や歌舞伎にも登場する江戸時代の遊女「小紫」に似たしゃれた名前に加え、「シャキシャキした歯応えと、濃いめの味付けが好きだった」。
 若菜は、開業から7年後には東京・銀座へ販路を拡大。
世界的な和食人気を追い風に、現在は中部国際空港や羽田空港の売店での売り上げが収益の3分の1を占めるまでに成長した。
2代目の山田謹一さん(67)は「得月に始まった漬物の味が、いま世界へと広がり始めている」と笑顔を見せる。

150801a

 ほかにも、得月楼の流れをくむ料理店が納屋橋周辺にある。
得月楼のうなぎ料理部門を受け継いだ「宮鍵(みやかぎ)」(中村区)と、鍋料理で知られる料亨「得仙(とくせん)」(同)だ。
いずれも、得月楼で修業した板前が開いた。
 得仙初代の故林辰三郎さんは「料理の腕を磨き、生涯おいしい料理を食べ続けたい」と15歳で得月楼の板前になった。
板場での呼び名は「千さん」。
35歳で独立し、「得」の字と「セン」の書から得仙の店名を生み出した。
 「今でも、得月楼の時代と同じ輪島塗の職人におわんを塗り直してもらっている」と得仙3代目の林山治さん(73)。
「かつお節は直前にかんなにかけてだしを取って」「げたは少しでもすり減ったら替えなさい」。
一流店で厳しい修業を積んだ初代の言葉が今も耳に残る。
 得月楼の建物を受け継いだ鳥久は廃業直後の昨年11月、火事で全てを焼失した。
建物は露と消え、得月楼の華やかな姿を知る人も減っていくばかり。
 それでも「次の世代の一名店が得月の姿を伝えてくれる」。
現役の日本舞踊講師である西川さんはほほ笑む。
踊りや芸妓の文化を若い世代に伝える自身の姿と重ね合わせながら。

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