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2015年6月 8日 (月)

日常抜け出し買い物 広小路通(6)

FineCity(ファインシティ)から南約300mに、納屋橋と広小路通があります。
その広小路通の昔の様子が、先日の新聞に載っていました。

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150506hirokouji

 日常を抜け出し、おしゃれをして、買い物袋を右手にさっそうと駆ける。
世の中が経済成長を続けていたころ、栄の広小路通はそんな姿が似合う街だった。
 通りに面した一等地にあった輸入食品店「明治屋名古屋栄ストアー」も、豊かさの象徴だった。
 西区の設計会社で働く村上俊子さん(47)=南区=が就職したのは、バブル経済真っただ中の1986年。
一人暮らしを始め、休日は自転車に乗って栄へ買い物に繰り出した。
百貨店を回り、最後に明治屋に立ち寄る。
ちょっと高級な輸入品のジャムや缶詰を少しだけ買った。
「友人を自宅に呼ぶとき、台所にさりげなく置いて見えを張ったの。ちょっと背伸びがしたい、しゃらくさい時期でした」と懐かしむ。
 明治屋の東隣には、老舗百貨店の丸栄がそびえ立つ。
周辺には、同じく老舗の松坂屋と名古屋三越(旧・オリエンタル中村)もあり、百貨店の激戦地だった。
 丸栄が新装開店した53年に入社し、のちに社長となる後藤淳さん(80)は、初任給をはたいてダブルのスーツを買った。
「百貨店は一張羅を着て出掛けるところ。そういう心構えでお客を迎えた」と話す。
丸栄はこの年、名古屋の百貨店として戦後初めてエスカレーターを設置した。
わざわざ動く階段を見に訪れる人もいた。
 昭和40代に盛んになったお歳暮商戦の競争は激しかった。
「向こうの店では来週、ギフトセンターを開くらしい。こちらはその前の週にしよう」などと、戦々恐々としながら競り合った。
 バブルのころ、高級な食品や衣料品を安く売る目玉催事では、朝から並んでいた客が、開店と同時に一斉に店内へと飛び込んだ。
「百貨店は夢を売らないといけない」との信条で多彩な企画を仕掛け、広小路に人をあふれさせた。
 しかし、百貨店の全盛は、平成の時代に入って変わる。
郊外型の店舗との競争も激しくなった。
「百貨店を着飾っていく場所と考える世代は減ったのかもしれない」。
現場から距離を置いた今も、後藤さんには気掛かりが残る。
「若い人が共感できる新たな夢を採さなければ」
 人気を博した広小路の明治屋は2014年、その歴史に幕を下ろした。
隣の老舗書店「丸善名古屋栄店」も12年に、長年営業した通り沿いの店を閉じている。
 「寂しいな」。
明治屋に通った村上さんはため息をつく。
それでも、時には16歳になる娘の買い物に付き合って、丸栄などにやって来る。
広小路かいわいは、世代を超えても心が躍る街歩きの中心地であり続けている。

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