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2015年5月17日 (日)

「チンチン」今も耳に 広小路通(1)

FineCity(ファインシティ)から南約300mに、納屋橋と広小路通があります。
その広小路通の昔の様子が、先日の新聞に載っていました。

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150430hirokouji  昭和の時代、名古屋駅南から栄にかけて広小路通はまさに都会のシンボルだった。
飲食店や百貨店を散策する人々のにぎわいは、東京・銀座の銀ブラになぞらえ「広ブラ」と呼ばれた。
路面を走る市電、ずらりと並ぶ屋台、そして輝くキャバレーのネオンが、通りを飾った。
移ろいやすい都会のかつての姿をたどる。

 「花の広小路線と言われてなぁ。同僚からうらやましがられたもんだ」。
1957(昭和32)年に市交通局に入り、市電広小路線(栄町線)が廃止される71年まで車掌と運転手を務めた藤井英作さん(77)=岐阜県中津川市=は、通りの風景を思い起こす。
 名古屋駅からの電車と、中村区の稲葉地車庫から来た車両が交差する「笹島」の交差点。
一角に立つ鉄塔には信号室があり、職員が手動で信号機の灯火や線路のポイントを切り替えた。
笹島-県庁前(現在の中区役所付近)が初めて開通したのが1898(明治31)年。
この約2.2kmが花形路線だった。
 高度経済成長が始まった昭和37年代以降、道には自動車があふれた。
「車がよく軌道に割り込んで、急ブレーキをかけた」。
車がたびたび接触し、市電の車体は傷だらけだった。
通勤時間帯、港方面の工業団地に向かう人たちで車内はすし詰め状態。
出発が遅れて後続の車両が追いつき、5、6両が連なったこともあった。
 堀川に架かる納屋橋から東の広小路通沿いは、銀行が立ち並ぶオフィス街。
筋一本入ると、映画館や飲食店が連なり、昼時はビジネスマン、休日はカップルがひしめいた。
 夜になると銀行の前に屋台が居並び、キャバレーに人々が吸い込まれた。
終電間近には、「広小路本町」の停車場からキャバレーで働く女性たちが乗り込む。
満員の車内は化粧の匂いが充満し、青年の車掌だった藤井さんはよく「かわいがったげるで、来なさいよ」とからかわれた。
 通りに面した茶販売店が実家だった安田弘子さん(78)=中区=は、小学校2年の1945年3月19日、名古屋空襲に遭遇した。
焼夷弾を避けて街を逃げ惑った。
疎開から家に戻ったのは1年後。
焼け野原に建ち始めたバラックの間を市電が走っていたのを覚えている。
 家の前を通り、通学で利用した生活の足だった。
年に1度の「名古屋まつり」に飾り付けられた市電は「花電車」と呼ばれた。
「夜にゆっくり走る光景がキラキラして、とってもきれいだったがね」
 57年に市営地下鉄が名古屋-栄町間で開業。
交通の主役となり、人通りは地下街に移った。
郷土史家の沢井鈴一さんは著書「名古屋広小路ものがたり」で、市電廃止に伴ってにぎわいが名古屋駅と栄の二極に集中する様子を「途中の喪失」と嘆いた。
 藤井さんの耳には、市電が発車する時に鳴らす「チンチン」の音が今も残る。
「市電に乗った人は隣同士でよく話すんだ。街の音があったからだろうね。いまの地下鉄の中は静かでしょ」。
少し寂しげな顔をした。

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