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2014年11月15日 (土)

四間道かいわい(名古屋市西区)

FineCity(ファインシティ)から北約710mに四間道と呼ばれる昔の雰囲気を残している場所があります。

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 「ここが名古屋の歴史上、重要な地域であるのは間違いない」
 名古屋市西区の四間道(しけみち)かいわいに立ち、伊藤公夫さん(77)は断言する。
名古屋の中心部を流れる堀川の歴史文化を発信するグループ「堀川文化を伝える会」のメンバーだ。
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 江戸時代、堀川は尾張徳川家の本拠地を支える物流の中心だった。
川沿いには米やみそ、塩、酒などを商う店が軒を連ね、水運で城下町に物資を供給していたという。
140928c  堀川の西側に沿って南北に延びる四間道は、1700(元禄13)年の大火後に防火を目的に整備された。
名前の由来は、道幅を四間(約7m)と広く取ったことから。石垣で高くなった東側に白壁の土蔵、西側には情緒ある町家が並び、当時の風情を今も残している。
 近世名古屋の歴史は、1610(慶長15)年に始まった名古屋城築城から。
当時の尾張の中心は清洲城(現愛知県清須市)だったが、徳川家康が名古屋への移転を決定。
武家、社寺、商人も街ごと移す「清洲越し」が繰り広げられた。
 堀川は築城の資材を運ぶために開削され、川岸には商人たちが蔵を構えた。
尾張藩の御用商人を務め、現在も四間道に邸宅がある伊藤家、同じく塩を商っていた青木家もその一つ。
伊藤さんはその伊藤家とは遠縁に当たり、退職後は郷土史に興味を持って堀川の歴史を調べてきた。
 最盛期には江戸の町並みにもひけを取らないほどにぎわっていた堀川沿いも、空襲や戦後の再開発などで蔵は次々と姿を消した。
往時の雰囲気を残すのは四間道かいわいだけに。
その四間道でも建物の維持費が負担となり、昔ながらの町並みは少しずつ失われてきた。
「今は名古屋の人でも、四間道のことはほとんど知らない」と伊藤さんは嘆く。

一方、近年は風情のある町並みに着目して、蔵や町家を利用した飲食店や雑貨店も増えている。
日本料理店「右近」は、築200年以上の蔵を改装して8年前に開店した。
「町の雰囲気を変えないよう外観はそのまま手をつけていません」とオーナーの宮治和子さん。
「若いカップルや女性グループが四間道に足を運ぶようになっている」という。
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 築100年超の長屋でアンティーク雑貨店「月のののうさ」を営むカワカタミカコさん(42)も「これだけ古い建物が残っているのはすごいこと。ここの店は隠れ家的な魅力もあると思う」と話している。
※月のののうさは2014年11月16日をもちまして閉店します。
景観を損なわないよう、新しく開店した店の看板や照明は控えめ。
建物の良さを生かしながら、保存と利用を両立させている。
 かつて妻商人が集う四間道は「名古屋経済を支える地だった」という伊藤さん。
名古屋の歴史を伝える町に、光があたらない現状に寂しさも感じている。
頼まれればボランティアガイドも務め、訪れた人たちに四間道の魅力を語り続けている。

1986年、市の保存地区に
四間道かいわい
四間道は1986(昭和61)年6月、有松地区(名古屋市緑区)、白壁・主税・撞木地区(同市東区)に続いて名古屋市の町並み保存地区に指定された。
町並みに調和するよう建物の修復に条件を設け、広告物や看板なども制限して景観を守っている。
尾張藩の御用商人を務めた伊藤家の住宅も県指定文化財。
本家、新座敷、南座敷の母屋と、蔵、新土蔵、西蔵などからなり、通り沿いの格子窓などが風情ある景観を形づくっている。

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