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2013年12月15日 (日)

屋上観覧車 世相を映す

FineCity(ファインシティ)の前の錦通りを東に約2000mに栄があります。
その一角に名古屋三越栄店があります。
以下は、少し前の中日新聞より。

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 「ゴトン」と音を立て、観覧車がゆっくりと回りだした。
名古屋三越の象徴として親しまれた屋上遊園地。
人影のないゴンドラが時代の流れを映し出す。
かって百貨店の屋上は「夢の場所」だった。
1954(昭和29)年に開業した名古屋三越の前身であるオリエンタル中村百貨店では、最新の遊具をそろえた遊園地が話題を呼んだ。
当時、観覧車の料金は1人10円。
週末には観覧車だけで1日に2000人が利用した。
 名古屋三越総務部長の加藤真也(58)は屋上に通った幼少時代に思いをはせる。
「よそ行きの格好をして出かけ、遊園地で遊ぶ。子ども心に幸せな時間だった」。
百貨店の楽しさに魅せられ、後にオリエンタル中村を就職先に選んだ。
 屋上の売店は当時珍しかったソフトクリームやコーラを提供し、犬や金魚、小鳥を扱うペットショップまであった。
「何を出しても売れた。お客さんがずっと行列をつくって、昼食をとる時間もなかった」。
牛乳や駄菓子の売店を営んでいた名古屋市南区の六郷高信(72)は、にぎわいを懐かしむ。
牛乳が1本20円のころに、多い日の売り上げは15万円にもなった。
 オリエンタル中村と同じ54年、名古屋・名駅では名鉄百貨店が開業した。
松坂屋、丸栄と合わせて「4M」の基礎が築かれ、名古屋の百貨店業界は新たな時代へ。
屋上には激しい競争の歴史も刻まれている。
 各百貨店はこぞって芸能人を招き、イベントを開いた。
オリエンタル中村で宣伝部に所属した森宜(86)=名古屋市千種区=は「競争に勝つには、何とかして人を呼ばないといけなかった」と振り返る。
森はオリエンタルビルにカメラ店を開こうとしたことが縁で、ビル創業者の平松さわに誘われ、オリエンタル中村に入社していた。
 森たちが目を付けたのは海外のスターだ。
「あの時は本当にすごかった。黒山の人だかりだった」。
67年11月7日、「ミニの女王」と呼ばれた英国人モデル、ツイッギーが来店した時のこと。
屋上に1000人を超える若者が殺到し、危険なためエレベーターの運転を止めるほどだった。
 高度経済成長とともに栄えた百貨店の屋上も、各地に大型の遊園地やテーマパークが誕生すると、人気は下降線に。
名古屋三越に代わってからは遊具が減り売店も一つまた一つと姿を消した。
「最後まで踏ん張ろうとしたが、やっていけなくなった」。
六郷も10年前に店を畳み、現在では一店舗があるだけだ。
 名古屋三越に残る観覧車は、56年にオリエンタル中村が増築した時に新調した年代物。
2005年に営業運転を終了し、今は日曜・祝日に1日2度だけ無人で動かす。
 メンテナンスを担当するビル社員の後藤勝彦(44)は言う。
「今でも観覧車に乗れますかと聞いてくるお客さんがいる。せめて動く姿を見せてあげたい」。
1周3分半を2周。
屋上に子どもたちの夢があふれたころの姿を、かすかに伝える。

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