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2013年11月 8日 (金)

<市庁舎探訪>(中)

FineCity(ファインシティ)から北東に約2500mに、名古屋市役所本庁舎があります。
名古屋市の都市景観重要建築物等指定物件に指定されています。
Sityousha

先日の中日新聞に、市役所本庁舎に関する記事がありました。

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 外壁の一部が、うっすらと黒ずんでいる。
市役所本庁舎の時計塔の根元部分。
80年の歳月による経年変化でも、排ガスなどによる汚れでもない。
 「太平洋戦争末期、空襲の標的にならないようコールタールで黒く塗装されました。その名残です」
 68回目の終戦の日を迎えた8月15日。
市内の戦跡をめぐる見学会の案内人、大島良満さん(78)=守山区高島町=は庁舎の窓から指さしながら、参加者らに説明した。
 1944(昭和19)年末から、米軍による市内への空襲が本格化する中、茶色とクリーム色の対比が特徴の市庁舎は、一部が黒く塗られた。
カムフラージュのための迷彩が施されたのだ。

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 当時小学校4年で、実家のあった北区から父親に連れられ市役所前を通った大島さんは「こうすれば爆弾を落とされないのか」と思ったという。
 45年になると、空襲はさらに激化。
市民15万人以上が焼け出された3月19日の大空襲では、大島さんも自宅を失い、親戚を頼って一宮市へ疎開した。
5月14日には名古屋城が炎上。
終戦までの63回に及ぶ空襲で、市民7858人の命が失われ、市内は一面の焼け野原となった。
 そんな中、名古屋城を模して造られた市庁舎は、隣の県庁とともに被災を免れた。
米軍が戦後、両庁舎を接収して使うために爆撃しなかった、との説があるが、真相は不明だ。
 生き残った市庁舎には、戦争の記憶を今に伝える痕跡が、あちこちに残っている。
 屋上の一角には、周囲より10cmほど厚く補強された床がある。
敵機を撃墜する高射砲を設置するための土台だった。
 その真下にあたる5階の天井はひび割れ、戦後はたびたび雨漏りしたという。
実際に高射砲が設置されたかどうかの記録は残っていないが、庁舎管理を担当した元市職員の三ツ井清治さん(80)=北区書惣治=は「高射砲の重みと射撃の振動で、ひび割れが起きたと伝えられています」と語る。
 新年の市長あいさつなどに使われる正庁や市長公室の扉、階段の手すりにはかつて、名古屋城本丸御殿の華麗さを念頭に直いた、鳳凰などをかたどった金属製の装飾が施されていた。
しかし戦争で軍に供出され、現在では当時の記録写真でしか、その豪華さを確認できない。
 市庁舎の外壁のコールタールは、終戦から7年後の52年に、やっと洗い落とされた。
それにしてもなぜ、時計塔の裏側部分だけ黒ずみが残ったのか。
 「市庁舎正面を走る大津通から見えない場所だから、単に放置したのでは」との説があるが、当時の状況をうかがわせる資料は見つかっていない。

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