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2013年11月 7日 (木)

<市庁舎探訪>(上)

FineCity(ファインシティ)から北東に約2500mに、名古屋市役所本庁舎があります。
名古屋市の都市景観重要建築物等指定物件に指定されています。
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先日の中日新聞に、市役所本庁舎に関する記事がありました。

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 「帝冠様式」と呼ばれる独特の建築デザインで市民に親しまれる市役所本庁舎が、9月6日に竣工80周年を迎える。
人に例えれば「傘寿」となる、昭和の時代を象徴する遺産。
節目を前に、誕生秘話や戦災の歴史を探訪し、ゆかりの人々の思いを振り返る。

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 80年余の時を経て、薄茶色にあせた写し紙。
鉛筆で描かれたスケッチが、いくつも残されていた。
空にそびえる瓦屋根、そしてしゃちほこも。
 「父は、市庁舎のシンボルとなる塔に名古屋城のイメージを何とかして取り込もうとしていたようです」
 長崎美代子さん(82)=東京都渋谷区=は、外観の意匠の基となったスケッチ画をファイルから丁寧に取り出し、指でなぞった。
 父とは、名古屋市役所本庁舎を設計した豊山村(現豊山町)出身の建築家、平林金吾さん(1894~1981年)だ。
 名古屋市は1928(昭和3)年秋、昭和天皇即位を祝い、新庁舎の建設を決めた。
30年にあった外観のコンペ(設計競技)には、全国から559作品が寄せられ、平林さんの設計案が一等になった。
 最大の特徴は、後に「帝冠様式」と呼ばれる西洋建築に和風の屋根を載せたデザイン。
鉄筋コンクリート造りの躯体の中央部に塔がそびえ、その上には二層の鋼板の屋根。
高さ53.5mの最上部に4匹が一体となった「四方にらみの鯱(しゃち)」を置いた。
 30年1月28日付の新愛知新聞(現中日新聞)は「市庁舎設計図案を広く市民に公開」と、平林さんの受賞を写真付きで報じた。
審査貞は「中央の高塔が名古屋城の天守閣をかたどったもので非常に興味のある優れたものであった」と高く評価していた。
 設計での平林さんの思いは、市庁舎完成直後の33年10月1日付の大阪毎日新聞(現毎日新聞)に詳しい。
 「毎日お城を眺めて育ちましたので、あの金鯱城が頭にコビリついていました。
だから応募にあたってお城を取入れてローカル・カラーを鮮明に浮き出すことに苦心しました」
 平林さんは11歳まで現在の県営名古屋空港付近に住んでいたといい、名古屋城総合事務所の担当者は「当時は高い建物がなかったので城が見えたのでは」と推測する。
 近代建築に詳しい瀬口哲夫・名古屋市立大名誉教授(都市計画)は「平林さんの案は、見事に名古屋城の風致に合っていた」と評価。
名古屋城をモチーフにした建築様式は、市庁舎完成から5年後の38年に建てられた県庁本庁舎にも継承された。
 戦前から戦後にかけ、平林さんは公共建築の設計で活躍。
名古屋市庁舎より早い22(大正11)年の大阪府庁舎の外観コンペでも一等に選ばれた。
 自らが手掛けた建物に関する資料はあまり残さなかったが、名古屋市庁舎だけは別だった。
コンペの一等を知らせる市からの手紙、知人からの祝電、そして快挙を伝えた新聞も保管されていた。
 「故郷に認められたことが、よほどうれしかったのでしょう」。
三男の平林晃さん(86)=東京都渋谷区=は振り返る。
建築家が設計図に注ぎ込んだ故郷への愛情は、市民の貴重な財産として受け継がれている。

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 名古屋市役所本庁舎 1933(昭和8)年建設。
西洋建築に和風の屋根を載せた「帝冠様式」が特徴で、地上5階、地下1階。
中央の時計塔を含む塔屋だけで5階分ある。
延べ床面積は2万5760m2。
隣接する同じ帝冠様式の県庁(38年完成)とともに98年に国登録有形文化財に登録された。
最近はドラマや映画のロケ地としても使用されている。

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