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2013年6月16日 (日)

<納屋橋100年>(下) 水辺の魅力、活気再び

FineCity(ファインシティ)から約300mに納屋橋があります。
070325_16
2007年3月に撮影
その1本北の橋は錦橋で、FineCity(ファインシティ)から約160mです。

先日の中日新聞に、納屋橋が鉄製の橋になって100年という記事がありました。

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20130513a  名古屋市内で生まれ育ったけれど、納屋橋の名前は、饅頭(まんじゅう)でしか知らなかった。
堀川沿いの橋近くで手づくり市場「なやばし夜(よ)イチ」を仲間と開く寺園風(ふう)さん(25)。
2年前から毎月1回、続ける理由は、川沿いの空間に魅力を感じたからだ。
 頭に描いたのは、高校卒業後に貧乏旅行で訪れた東南アジア・ラオス北部の古都ルアンプラバンで目にした夜市。
メコン川に近い旧市街に、飲食店や服飾店、雑貨店の入ったテントが並び、地元住民や外国人旅行者でにぎわっていた。
 折しも納屋橋周辺では堀川の両側に遊歩道や街灯が整備されていた。
「面白いことをやるなら納屋橋だ」と直感した。
 初めてのイベントに出店したのは、手作りのアクセサリー店や飲食店など。
知り合いや友だちばかり20人。
しかし仕事帰りのサラリーマンらは一瞥(いちべつ)もくれずに通り過ぎた。
 周囲の反応が変わったのはスタートから1年後。
ようやく認知され、最近では近所の住民からも「続けてね」と言われるまでになった。
多い時で50軒がテントを連ねる。
 とはいえ、特に夏場の川の臭いは無視できない。
今でも知人らは「あんな臭いところでやってるの?」。
堀川の負のイメージはなかなか抜けない。
20130513b  堀川の水質が最も悪化したのは1966(昭和41)年。
水の汚れを示す数値は、どぶ川とやゆされた大阪の道頓堀川より悪かった。
その後、数値は改善され、94年から市が始めたヘドロの除去事業、庄内川や木曽川の水を流すことなどで徐々に透明度は改善された。
川の臭気も年々薄れている。
 一帯の往来が減ったのは、名駅-栄間に57年、地下鉄東山線が開通し、両駅に地下街が誕生したことも大きく影響した。
 列車は名駅から伏見駅までを、橋の下を通過。
橋南西側の老舗かしわ・うなぎ料理店、宮鍵の大女将(おかみ)、森和子さん(72)は言う。
 「このあたりは中途半端な場所。どちらの駅からも遠いから、歩いてくる人が減りました」
 対照的に地下街は、まるで地上のにぎわいを吸い込むようにして活気を帯びた。
71年に笹島-栄間の路面電車が廃止されると、人通りはますます減った。
 長く逆風にさらされてきた納屋橋地区。
しかし新たな魅力に気づいたのは、夜イチの寺園さんだけではない。
橋北西で飲食店ビル「納屋橋キューブス」を管理運営する丹坂(にさか)和弘さん(47)は「水辺の良さはきっと伝わる。
地下街もいいけれど、季節や風を感じる場所のニーズはある」と強調する。
 川の対岸に立つ旧加藤商会ビルは昭和初期、シャム国(現在のタイ)の領事館が置かれた、レトロな建物。
2001年には国の登録有形文化財に指定された。
キューブスの飲食店に若者の姿が増えだしたのも、ちょうどこのころからだった。
 百年ぶりの渡り初め式の仕掛け人でもある丹坂さんは言う。
「納屋橋地区は、まだまだ可能性がある。堀川の再生が、街の価値を高めることにつながってほしい」

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